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惣兵衛米由来

そべどの嫡男惣兵衛ものがたり 株式会社惣兵衛 代表取締役 畠山さゆり

コンバインで稲刈り

昭和52年秋。惣兵衛と眞、
2代目のコンバインで稲刈り
(撮影 さゆり)

我が家の屋号は「そべど」。代々稲作づくりを営む農家です。
「そべど」の由来は、代々嫡男が「惣兵衛」を襲名したことに因るのでは?と考えられます。やがて農家にも苗字が義務付けられ、嫡男が「惣兵衛」と名乗れなくなった頃から長男に「惣」の文字をつけることになったといいます。さゆりの曽祖父は「惣次郎」、祖父は「惣吉」。そして、この惣吉。おそらく「惣」のつく名前を考えるのが面倒になったのか、長男(さゆりの父)に、そのものズバリ「惣兵衛」と名づけてしまいました。

しかし、その頃は「ヒロシ」とか「サトシ」とか今風な名前が台頭してきた時代。当の惣兵衛は己の名前に誇りをもつどころか大層コンプレックスをもつはめになったのです。



結婚式

長女真由美結婚式にて 惣吉と惣兵衛

「惣吉はどうしてこんな名前つけたんだべ。」苦々しげにそうつぶやいていた惣兵衛。しかし、ある時新聞のテレビ番組欄に「そこつ惣兵衛」という文字を発見した彼は、すぐさま同級生に電話をかけ「今日、日本昔ばなし観ろよ。『そこつ惣兵衛』って話だっけぞ」とうれしそうに視聴を促していたりもしていました。

もし今、惣兵衛が生きていれば、インターネットで全国の立派な惣兵衛さんを検索して見せ「お父さんの名前立派な名前だよ」といってあげられたのに。そして、「お父さん自身も立派だよ」なんて言ったりして。。言葉では伝えることができなかったが、せめて父の土地で父の名前のお米を作ることでそのメッセージが伝わればいいかな、と思っています。
(※後日、「全国惣兵衛めぐり」というコンテンツからはじまり、社名を(株)惣兵衛として法人となり、Sobe's Cafe2軒がオープンと、惣兵衛ブランドの確立は着々と進んでいるのでした。)

母屋

昭和45年 建築中の母屋
(写真提供 惣吉)

右の写真は、現在のそべど母屋建築中の様子を撮影したもの。(昭和45年)
そべどの山から全ての木材を用意した。3年がかりの大事業であった。左側の小屋はお風呂。いまはめずらしい五右衛門風呂。小さい時は外に出てからお風呂に行くのが怖かったものです。

右奥に見えるのは、惣兵衛、眞の新婚生活用住居。(ルーフバルコニーつき)
わたしが物心着く頃は建て付けが悪くなっており、冬の朝目覚めると枕元にうっすら雪がつもっていた。母屋新築とともに空家に。

惣兵衛の妻、眞

初孫誕生

待望の初孫(長男)誕生にわく、惣兵衛と真

農家に嫁いで53年。いつの間にか当主になっていた眞。57歳で夫を亡くした後は、二女さゆりが一家でUターン。
孫の世話におわれているうちにさゆりが起業。二人三脚で「惣兵衛プロジェクト」に邁進してきた18年。
最近は体力がもたないこと、記憶力に自信がなくなってきたことから農業の一線からは退きましたが、毎朝重い草刈り機を背負ってのけい畔の草刈りは欠かせません。黙って隠居ができない眞の半生をご紹介します。
この夫婦があって、惣兵衛プロジェクトの礎が築かれたのです。

高橋眞「年譜」 文集「花ふたたび」に掲載(平成15年7月)

元号 主な出来事
昭和13年 7月 和賀郡笹間村に生まれる。父慶吉、ミカの四女。顔が小さく痩せて手足の長い赤ちゃんだったそうだ。
昭和17年 5月 弟(敏)生まれる。三男。一貫目もある大きな赤ちゃんという産婆さんの声を記憶している。
昭和20年 4月 笹間小学校入学。
戦時中、物資不足でランドセルはボール紙製。校舎内には学童疎開もいて、校庭内は多くの人がいた。
8月 終戦を迎える。
昭和25年 4月 学校給食が始まる。脱脂粉乳、アンズ等。
8月 大船渡広田小学校での海浜学校。はじめての4泊の集団生活を体験
昭和26年 4月 笹間中学校入学
昭和28年 6月 東京方面に修学旅行。おこづかい200円。皆で落穂拾いをして不参加の予定の2名の参加も実現した。
昭和29年 4月 岩手県立花巻南高等学校入学
市町村合併により花巻市となる。笹間村は翌年市に合併。
昭和32年 3月 岩手県立花巻南高等学校卒業。皆勤賞をいただく。
卒業と同時に県立花巻厚生病院、受付事務アルバイト。
7月 和装専門学校「木ノ花学園」に入学
昭和33年 4月 花巻市鍋倉の高橋惣兵衛と結婚
義父(58歳)、義母(53歳)の長男。水田単作農家。
家族80代、50代、20代の3夫婦と弟の7人。
結婚の条件
1. 和裁は引き続き通わせる。
2. 農作業はしなくともよい
(妻が冬期間に習い事に通うことはあったが、年間を通して通うケースは私がはじめてだったと聞いた)
当時、農村にも生活改善の風がふき始めていた。惣兵衛家では冷蔵庫、ローラー式脱水洗濯機、耕耘機 をそろえており、もの珍しく近所の話の種になっていた。使い方も知らない新生活スタート。
昭和34年 3月 和裁研究科2年終了後、助手の声を捨てて農家の見習となる。
昭和34年 11月 長女(眞由美)生まれる。父親似 
昭和38年 3月 義弟、結婚し分家独立
昭和39年 6月 次女(さゆり)生まれる
「また女か」という声をきき、いつまでも耳に残った。「女だって育てようで男に勝るんだ」という母の言葉で勇気づけられた。
昭和40年 1月 祖父(惣次郎)、数え年94歳で死亡。大往生。
4月 長女、大谷幼稚園入園
昭和41年 4月 長女、小学校入学。同級生9名、鍋倉地区の宝閑小学校。
昭和42年 4月 普通自動車免許取得
昭和43年 4月 宝閑小学校閉校により、長女は湯口小学校3年に編入しスクールバス通学。
昭和44年 4月 次女、大谷幼稚園入園
昭和45年 2月 数え年33歳、女の厄年。鍋倉地区内の厄年の人達合同で厄払健康祈願。
母屋新築に向け準備始まる
7月 棟上げ、建坪90坪
かやぶき屋根は消防法との関わりがあって当時の新築ブームの中、我が家は終わりの時期だった。製材から棟上までは「結い」の制度があり、多くの人達にお手伝いをいただいた。寒中厳しい時期、山からの木出し、移動製はん、棟上、新築祝、完成まで3年。その間職人などのまかないを担当。しもやけの手足で悩み、「小昼」「あがり」のメニューに頭を使う毎日だった。
まだ車の普及も少なく、人力、馬力の時代で小昼もお菓子よりにぎり飯が喜ばれた。完成まで述べ1,000人のまかないで、はじめて家族(男性達)からねぎらいの言葉をもらった。
※小昼…午前、午後の軽食のこと。※あがり…仕事が終わってからの 軽い食事
10月 岩手国体、家の新築、大阪万博等、もりだくさんの行事の年。米も豊作。
昭和46年 4月 次女 湯口小学校入学
昭和47年 4月 長女 湯口中学校入学
昭和48年 1月 祖母(スエ) 91歳で死亡
昭和50年 4月 長女 岩手県立花巻北高等学校入学
昭和53年 4月 長女 上智大学入学
昭和55年 4月 次女 岩手県立花巻北高等学校入学
8月 第二回岩手県女性部海外研修参加 中国東北地方の旅、団員5名
冷夏に見舞われる。米不作、反収2~3俵。そんな時期、主婦がお盆行事で家を留守にすることは勇気のいる時代だった。2人の娘の応援と理解ある姑のお陰で参加できた。研修では、自分の行動範囲・視野の狭さ、考えの甘さ、経験の浅さを実感した。視野を広め、自分の出来ることで少しでも社会に貢献できるような人生を送りたいと思った。
昭和56年 6月 長女、フランスに短期留学
昭和57年 4月 長女、就職 外地勤務 ニューカレドニア
昭和58年 4月 次女、ビジネス英語実務専門学校入学 上京
昭和60年 3月 子供達への仕送り終了
4月 次女 東京で就職 京セラ株式会社
昭和61年 3月 湯口農協婦人部部長
女性もただ働くだけでなく、我が家の家計を把握する大切を運動目標にする。
昭和63年 2月 結婚30周年 3泊4日香港の旅、長女からのプレゼント
平成元年 10月 長女、結婚 香港に新居。
11月 義父(惣吉)、90歳で死亡。夫婦2人だけの生活がはじまる。
平成3年 4月 次女、結婚 埼玉県川口市に新居。
平成4年 2月 全国家の光大会で湯口婦人部文集「ふきのとう」を全国に紹介。60号発行に「継続は力」と高い評価をいただく。
3月 花巻市農協婦人部部長
平成5年 1月 全国農協婦人部組織活動発表で花巻農協婦人部活動を高く評価された。
活動目標
・男性と共に語れる女性を目指そう
・年代別活動(三部制)
・"女性自ら燦々と輝き悠々と自適な暮らしで真心こめた食べ物を食卓に"を目標とした活動を展開。
合併浄化槽とりつけのため一部改築。
7月 夫(惣兵衛)、医大入院。この年平成の大冷害。反収1~2俵。
11月 初孫誕生 次女の長男。
12月 夫退院2日後の大きなプレゼントとなる。
平成6年 8月 夫、交通事故
シートベルトで腸が切れ手術。その後入退院を3回繰り返し、病院と家を行き来する日が続く。
平成7年 6月 夫(惣兵衛)、60歳で死亡。
夫の死により農業はどうするか、娘2人と話し合いを重ねる。
田植え、稲刈りは夫が入院中も長女と2人で機械作業はしていた。これからもずっとやれる程、体力・気力がない。やれることだけして、その他の作業は他人の力を借りたいとの結論となる。"農業法人救生農法会"に委託し、管理を受け持つ農業者になる。
平成8年 3月 孫誕生
10月 次女家族、4人が埼玉より転居。1人暮らしに終止符。
平成9年 4月 体験農業受け入れ第1号 川崎市より山田さん夫婦 2泊
6月 農協に産直オープン(母ちゃんハウスだぁすこ)
女性部員12名で産直内にレストランを開設。女性起業をスタートさせ、経営学をかじる。地産池消を目指し、地元のお米や野菜を使って"かあちゃんの味"を提供。
平成10年 4月 体験農業受け入れ第2号 アメリカ生まれ、香港大で教える女性。一週間。
平成11年 1月 第1回 花巻女性議会議員の当選
3月 農協女性部部長職引退
60歳を目標に女性部活動をしてきた。多くの人達とふれあい、支えられ、少しでも女性の地位が高く評価されるように、多くの学習をしてきた。それを活かせるように心がけたいと願っている。
体験農業受け入れ 千葉県より永田さん 2泊
体験農業受け入れ 永田さん夫婦、乗用田植え機体験
4月 体験農業受け入れ 稲刈り体験、リース作り
5月 永田さん夫婦、大阪の女性、宮城の大学院生女性。作業後の異業種の人達との語らいから、新しいエネルギーをいただく。
10月 レストラン経営に幕
平成12年 4月 上の孫 小学校入学
平成14年 4月 下の孫 小学校入学
5月 小学生田植え体験受け入れ
古代米田んぼにNHKのキャラクター、ドーモ君を描く
10月 稲刈り体験農業受け入れ
小学生、和歌山60歳女性2泊、イタリア人20代 女性1ヶ月。
平成15年 5月 小学生田植え体験受け入れ
古代米田んぼにIBC岩手放送キャラクター、ちゃお君を描く
7月 満65歳 農業現役、冷夏に泣く。